「なんかイライラする」苦手な人があらわれるのはなんで?嫌な人がギフトに変わる心の仕組みの話

なんかこの人イライラするなぁ、苦手だなぁ…っていう人、一人や二人いますよね。
苦手な人に出会った時は、そこから自分が成長するチャンスです。
なんか引っかかる、苦手な人がどうして現れるのか、心の仕組みについてまとめながら、どんな捉え方をすればそこから成長したり、自分の世界を広げていけるのか、そんなお話を書いています。
この記事はイライラから自由になるだけでなく、自分のことをよく理解したい、自分を成長させたいと思う人のための記事です。
この記事の目次
「まだ見ぬ自分」を嫌いな相手が写している場合
人って不思議なもので、相手に自分を見ることがあります。
「素敵な人だなぁ」と思ったらその素敵な部分は自分にもあるし
「嫌なやつだな」って思ったら、それは相手に映った嫌いな自分だったりします。
イライラするなどの心の反応がある時はまだ自分では見ていない自分を相手に投影している時です。
自分では気がついていない自分の性質や見たくない自分の性質を相手の中に見つけているということです。
愚痴っぽい人が嫌いな場合は、自分でも気がついていない、もしくは我慢している「自分自身の愚痴っぽい部分」を相手の中に見ているのかもしれません。
誰かを悪く言いたくなって、「そんなこと思っちゃダメだ」「不満を言うなんてよくない」と蓋をしている自分です。
自分は言わないように我慢しているのに平気で愚痴を言っている人を見ると「自分は我慢しているのに」とイライラしてしまうのです。
多くの場合、相手に映った「嫌いな自分」は、自分の中で抑圧されています。
イラっとしてしまう時は無意識に我慢していることや不安なこと、今まで見えていなかった自分自身のことを教えてくれているのかもしれません。
投影によるイライラから自由になるには
このイライラから自由になるには、相手になにを投影しているのか気がつく必要があります。相手にうつった嫌いな自分はどんな自分かを見つけるということです。
相手のどんなところにイライラするのか考えてみて、相手に対してどんな風に思っているのか明確にしてみてください。
「〜すべきではない」という気持ちが見つかれば、それがそのまま自分に課していることになります。
例えば「不満や悪口を言うべきではない」そんな風に感じたら、自分に対して「不満や悪口を言うべきではない」と自分に課しているという可能性があるし
「周りにもっと気を配るべき」と思ったら自分自身に周りに気を配ることを課しているかもしれません。
イライラから自由になるためには、自分に課していることを別にしてもしなくてもどちらでもいいことだと思えるようになる必要があります。自分はするけど、全員はしなくてもいいという感じでしょうか。
悪口を言ってもいいし、言わなくてもいい。自分も言いたくなったら言うけど、言わない、くらいのどちらでもいいことだと認識できれば怒りもだいぶおさまってきます。
簡単に「別にしなくてもいいかな」「どちらでもいいかな」と思えない場合は、しなきゃいけないと無理している度合いが高い可能性があります。
そういう場合は「しなきゃいけないと思っていること」をもう少しフラットにみてみましょう。
しなきゃいけないことを、あえてしなかった時のメリットも考えてみてください。
例えば職場で「不満は言っちゃいけない、愚痴らずにいつも笑顔でいるほうがいい」と不満を感じることを我慢していたとします。
この場合は我慢しなかった時、つまり不満を言ったときのメリットを考えてみます。
不満を上司に伝えたことがきっかけで解決策を発見できて他の人も喜ぶかもしれませんし、環境が良くなっていく可能性があります。
そう考えると不満も改善のエネルギーになるのでいいものですよね。
こんな風に思考ゲームをして「不満を言っちゃいけない」なんてちょっと馬鹿らしいかも、と思えてきたらいい感じです。
相手を通して自分を知る
ちょっと耳の痛い話かもしれませんが、自分が嫌だなって感じることって別の形で自分が他の人にしていることだったりします。
意見を押し付けてくる人が嫌だなって感じたら、自分がいいと思ったことを相手に押し付けがちなのかもしれません。
邪魔しないでほしいと思ったら、実は自分が相手にとっては邪魔になっていたなんてこともあります。
相手のどこが嫌なのかを明確にして、自分の行動の中にそのエッセンスを探してみると意外なところで同じことをしています。
表面的な見え方や感じ方が違う場合があるのでトリッキーですが少し考えてみるとおもしろいです。
同じことをしている自分を認められたらイライラから自由になることができます。
投影という心の仕組み
なんで相手の中に自分を見つけるのかというと、人には投影という心の仕組みがあるからです。
無意識に自分と他人は一緒だと思ってしまう仕組みです。
投影によって人は、「相手は自分と同じように感じて、自分と同じように考える」と感じます。
この心の仕組みのおかげで、相手の中に、抑圧された自分やまだ気が付いていない自分を発見することができるのです。
「なんでやんないの!?」 イライラはコントロールのサイン?
相手が何かをしないことでイライラする場合は、相手のことをコントロールしようとしていないか疑ってみる必要があります。
本来は相手の行動は相手が決める、完全に相手の自由ですが、無意識に自分がコントロールできると勘違いしてしまっている可能性があるからです。
こういう時は現実的に自分がコントロールできる範囲について明確にしてみるのが有効です。
主語に「私」をつけて文章が成り立てば自分がなんとかできる範囲です。
仮に、挨拶をしない人にイライラしていたら「Aさんは挨拶をする、しない」なので主語はAさんになります。
これだとすでにAさんが主語なのでなんとかできるのはAさんだけで、自分ではどうにもできないことなんだと分かります。
コントロール欲求の原因 全能感について
コントロールできるという勘違いには全能感が関わっています。
全能感とは「自分がなんでもできる」という感覚のことです。
自分がなんでもできるので相手のことをコントロールすることも当たり前にできることだと思ってしまっているということです。
この全能感が一番強いのは赤ちゃんの時です。
自分と周りの区別がつかずになんでも思い通りになると感じている状態です。
それが自分と周りの区別がついてくること、現実を見て、なんでも思い通りになるわけではないことを知って徐々になくなっていきます。
これが一部、残ったまま成長してしまうと他人が自分の思い通りになるという無意識の前提から人をコントロールできるという勘違いが生まれます。
コントロールできるはずなのにできないからイライラしてしまうわけです。
また「自分はなんでもできる」という感覚ゆえに、できないことを無理にしてしまうことがあります。
実はよくある話で、現実的にはちょっとありえないような仕事量をやろうとしたり、必要以上に頑張ってしまう背景にこの「自分はなんでもできる」という全能感が潜んでいたりするのです。
イライラが教えてくれるもの
怒りって表面的な感情なんです。だからイライラするということはその奥にまた別の感情があります。
インナーチャイルドやバーストラウマなど過去に傷を負った経験があると、これ以上傷つかないようにと自分を守る意識が強くなります。
守る意識が強くなると自然と物事をコントロールしようとするようになります。
その結果、コントロールできないものに対して警戒したり、怒りを感じたりします。
怒りは危険を伝えるサインでもあるからです。
他人は自分にはコントロールできないものなので、自分の予想外の行動を取った時や、期待とズレた行動をしたときに怒りが湧いてきます。
イライラする時は何か守ろうとしているものや過去に傷ついた経験が関係しているのかもしれません。
まとめ
イライラする人っていったんいなくなっても、似たような人が目の前に現れたりしませんか?
それは心の中に原因があって、それを他人に映し出して見ているからです。
原因を見つめればイライラする人からも自由になって、無意識にしていた我慢や自分を苦しめていた不安から自由になれます。
そう考えるとイライラする人は等身大で自然体な自分へのヒントをくれる人なのかもしれません。
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