「できる人でいたい」私が自分についた嘘

世界を広げる

「できる人って思われたい」

「耳の痛い話は聞きたくない」

現実はうまくいかない時、見ないフリ。

ダメな自分を受け入れたくなくて、見ないフリ。

目の前の物事の次の展開に「こうなってほしい」

私は、そういう気持ちでいっぱいの人でした。

「できる人」でいたくて、そうじゃない自分は認めたくなかったんです。「できる人」でいようと自分自身をコントロールしていました。

でもそれって、本当に生きづらいんですよね。

自分で自分の首を絞めている感じでした。

自由が好きな私にとって、コントロールほど苦しいものはありませんでした。

そのコントロールの正体は、承認欲求でした。

認められるために自分は「できる自分」だと自分に嘘をついていたのです。思い込ませてる感じでした。

今日は、私が自分自身についていた嘘について書いてみようかなと思います。

「できる人でいたい」自分自身へのコントロール

私は、どんな人でいたいかに合わせて、自分の本来の姿を変えてしまっていました。

例えばこんな感じ。

仕事を頑張りすぎてしまう

当時はそんな自覚なかったのですが、働きすぎでした。それで、こうやって自分のことをコントロールすると、次は周りをコントロールしたくなるものなんですよね。だから職場で周りが同じように頑張らないことに苛立ちを覚えました。

「理想の自分」の心理的リアクションを演じる

これは本当に辛かった!

「理想の自分ならこの状況ではこんな風に感じるだろう」って予想して、そう感じていることにしてしまうんです。これ、けっこう病んでますよねw

本音が言えない

もう理想の自分を心から演じてるんで、本音も何もないんですけど(笑)本音が言えませんでした。本音を言うことよりも理想の自分でいることが優先されるんです。

「できる人」でいようと自分をコントロールすることで、うまくいかなくなることもたくさんありました。

人の意見が受け入れられない

「できる人」でいたいんで、できない自分を指摘してくる意見は聞きたくありませんでした。相手に指摘する気がなかったとしても、ちょっとしたことに反応してしまって「そんなことない」と焦る気持ちが出てきたりもしました。

自分とは違う意見は受け入れられないことが多かったです。相手に否定する意図はないとわかっているんですが、否定に感じていました。

思い通りにならないと嫌

「うまくいく人」であることも、なんでか大切でした。

だからスムーズに物事が進んで現実がうまくいくようにコントロールしたくなっていました。

思い通りにいかないと、自分の価値がなくなってしまうような怖さを感じました。大袈裟に感じるかもしれませんが…。

だから物事がスムーズに進まないと嫌なんですよね。

くだらないことですがノマド生活をしているときも、次の行先がスムーズに決まったり、物事がとんとん拍子で進むことって重要だったりしました。

コントロールと自分についた嘘

コントロールとは偽りの自分や偽りの世界を作って、その中で生きることだったりします。ずっと嘘をつき続けるようなものなので非常にエネルギーがかかります。

本来の自分を否定し、自分じゃない自分になり続け、現実を自然な流れとは違う方向に導き、かなりの労力を使います。本当に疲れるんですよね。

今振り返ると、何をしてるんだって感じです。笑

でもやっちゃうコントロール、これってどこから来るんでしょうか。

コントロールはどこからくるの?

私は「できる人」「うまくいっている人」「いい人」って思われたかったです。

その気持ちには、なんとなく気がついていたんだけど、気がついちゃいけないような気がしていました。笑

でも、ある時、気がついてしまったんです。。

なんでそんな風に思うのか、その理由に。

それはちょうど休みが続いて、何にもやることがなかった時のことでした。

その期間は、何にもやることがなかったので、ほんとに何もしなかったんです。

何もしないとなんだか落ち着かなくて。。

気がつくと、なにかやるべきことを探してしまいました。そわそわしてしまって、せっかく時間ができたのにうまく使えないという感じでした。

その時に湧き上がってきた、淡い焦燥感のなかで、何かやるべきことがないと自分には価値がないような気がしました。

その時「私って、自分のこと価値がないって思ってるんだなぁ」って自覚しました。

やるべきことをやって「できる人でいたい」「無価値感を感じたくない」って思ってるんだ、って自分のことがよくわかったんです。

そういえば、それまでも自分が社会の粗大ゴミのように感じたりしたことはあったんですよね。(粗大ゴミってやばくないか。ちなみに実話です。笑)

まぁ、自分の価値をでっかくて邪魔なゴミって思ってますから「そんなことないよ」と証明してくれる現実を必要としていました。

それが「できる人」でいることでした。また、あるときは「うまくいっている人」「いい人」であることでした。

しかも、それを他人から思われるのが重要なんですよね。

「できる人」「うまくいっている人」「いい人」だと周りから認識されることが自分の価値を証明してくれる安心材料だったのです。

だから、そのような人として振る舞い、自分をコントロールしました。

そして、周りにそう認識されているかどうかをビクビクしながら、日々起きるいろんなことも自分の価値をかけてコントロールしようとしました。

コントロールのはじまり

なんでこんなに自分のこと無価値だと思ってるんだろうって考えたんだけど、思い当たることが色々ありまして…。

何もすることがない時間に感じた淡い焦燥感は、よくよく目を向けてみると幼い頃からありました。

幼い頃は「できる人」でいようという感覚よりも「お母さんがすごいねって認めてくれる子でありたい」「できる子になりたい」という気持ちが強かったです。

私のイメージのできる人って優秀であるのはもちろんそうなんですけど、今振り返るとちょっと変わっていて、好奇心旺盛で明るい子とか、どんな人にも好かれる雰囲気のいい人とかそんな感じでした。

結局、親が思う「できる人」になろうとするからですよね。

こんな記憶があります。

中学受験の時の記憶です。私は塾に通っていました。小学校3年生の時から塾に通い始め、4年生か5年生の時には競争意識の高い塾に入塾しました。テストの成績で、クラスや席順が決まる塾でした。

成績がよければ、お母さんが喜ぶし、お母さんが喜べば私は嬉しくなって、自分の存在価値を感じることができました。ご褒美に漫画も買ってもらえました。(母は自分が読みたくて買ってたと思います。続き気になって先に読んでたし。笑)

成績が上がればクラスも上がるし、先生からも認められて、周りからも「できる人」だと認識されます。

そんな体験を積み重ねた私は、成績が上がったり、勉強を頑張れば価値のある人間になれる、でも何もしなければ本当は価値がない人間なんだって勘違いしちゃいました。

自分に価値がないって、大袈裟のように聞こえるけど、日本は世界でも自己肯定感の低い国として話題ですから、自分に価値がないと思っている人は少なくないのかでしょう。

本当に欲しかったもの

自分自身をコントロールして本当に欲しかったものは「できる自分」でもなく「いい人な自分」ではなく、もちろんうまくいく現実でもありませんでした。

全部、自分に価値があると感じたくてやったことです。本当に欲しかったのは「それでいいよ」って存在を認めてもらえることでした。

でも、そんなこと誰も言ってくれないし、中学受験がいい例だけど、何かしないと認められないように感じました。

だからその証拠を作って安心するために「できる人」「うまくいっている人」「いい人」になって、いろんなことをコントロールするしかありませんでした。

自分に嘘つかない生き方がしたい

「認めて欲しかっただけなのか」

そう気がついたら、今まで自分に嘘をついてきたような気がしました。

できる人になりたい、なんて思っていないからです。

私はもともと、嘘をつくのが苦手です。

特に自分に嘘をつくのは苦しいんですよね。

大袈裟だけど「自分を騙して生きるなら死んでしまったほうがいいんじゃないか」って思うくらいです。

だから本当に欲しいものがあるならそれに素直になって、それを欲しいって言いたいのです。

褒めて欲しいなら、褒めて欲しい

認めて欲しいなら、認めて欲しい

そうやって素直に言う方が、何倍も楽で、心地いいと感じました。

コントロールは生きづらさの始まり

コントロールしてできる人を演じるのって、いろんな生きづらさの始まりです。

「できる人」は自然体な自分ではないからです。

あくまで演じている自分なので、本来の自分がどんな人なのかよくわからなくなってしまいます。

やりたいことがわからないとか、自分の道が決まらないっていうのは、誰か違う人を演じているのが原因な人も多いのかもしれません。

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