「いつか離れていくんじゃないか」見捨てられ不安と向き合う

「向こうから連絡くれるかな」
彼氏には自分から連絡せずに待ってしまう
それで、相手から連絡があるとホッとする
好きって言われると、嬉しい反面、いつかその好意がなくなるんじゃないかと怖い
「いつか離れていくんじゃないか」そんな不安はいつも私の中にありました。
だから、相手が自分を好きな気持ちが、私が相手を好きな気持ちを上回っていないと不安でした。
相手の好意>私の好意
をいつも確認したかったです。
ちょっとしたわがままを言ってしまうこともありました。
わがままに付き合ってくれたら愛されてる感じがしました。
こうやって相手を試してしまう心の動きを見捨てられ不安と言います。
相手を試してしまう自分に疲れていく自分も自覚していました。
メーセージのやり取りとか、考えすぎて地獄でした。
見捨てられ不安を克服するには、結局は、自分で自分を愛し抜くことしかないのだと思います。
ここでは見捨てられ不安を克服するの道のりを実体験をもとに書いてみます。
今日は最初の一歩目を踏み出した時のこと。
見捨てられ不安と向き合うことを決めた時の話です。
この記事の目次
関係性を深められない頑なな心
相手との関係が親密になればなるほど、私の心はいつも固くなりました。
相手が自分を好きでいてくれるかどうかが重要で、それを確認できる方法をいつも探してしまいました。
それが、私から連絡しないでも相手から連絡が来ることを確認することだったり、相手の愛情表現を受け取ることだったりしました。
そういうときは、いつもより言葉を発するのも、文字を書くのも、慎重になりました。
よくわからない駆け引きが自分の中で起きていました。
呼吸が浅くなるというか、一時停止ボタンを押したときのように心のどこかが固まっているのがわかりました。
こうなると、相手との仲を深めるのが難しかったです。
相手の好意を確認することに労力を割いていて、相手と仲が深まるってどういうことなのかよくわかりませんでした。
好きって言われたら、時間が止まってほしい
好きって言われたら嬉しいけど、その次の瞬間から「いつかは離れていくんじゃないか」「何かの拍子に嫌われてしまうんじゃないか」って怖くなりました。
彼氏との関係性ではもちろん、友人関係でも似たような気持ちを感じました。
よく覚えているのは大学生の頃、友達に便箋いっぱいのメッセージをもらった時のことです。
出会って日の浅い友人だったんですが、こんなに自分のことを褒めてくれて、好きでいてくれて、嬉しすぎて、もう2度と会いたくないと思いました。
次会ったときに、もしかしたら失望されてしまうかもしれないから、怖かったんです。
付き合った人との関係も、相手の好意はいつかは終わってしまうように感じていました。
だから、私のことが一番好きなタイミングで、時間よ止まれ、って感じでした。
相手が好きな自分を演じてしまう
怖さを感じるときは、いつも相手が何を求めてるんだろう、どんな私を好きになったんだろうって考えていました。
「相手が好きになってくれた自分でいたい」って思いました。
あれこれ考えて、結局、素の自分ではなくて相手が好きであろう自分を勝手に演じてしまいました。
好きって言ってくれてるんだから、別に自然にしてればいいのに…。
だから本当に言いたいことは言えませんでした。
話しているときも、メッセージのやりとりも、思ったことを言おうとすると「これは相手にとってどういう意味を持つ言葉になるんだろう」って考えてしまいました。
自分に素直にいられなかったし、その前に考えすぎて本当に言いたいことが何なのかもよくわからなかったというのが実際のところでした。
とにかく、相手の好意を失うのが怖かったです。
見捨てられ不安と向き合う
そんな自分に疲れたし、相手との仲を深めることができませんでした。
自分のことを変えたくなった私は、見捨てられ不安と向き合うことを決めました。
相手が自分のことを好きかどうかを気にするよりも、相手の幸せを思う気持ちに素直でいたかったし、安心して人と関われる自分になりたいと思いました。
関係性を深めていくことを面白いと思えて、大切にできるようなまだ見たことのない自分に会いに行こうと思ったのです。
それで、やってみたことは、まずは自分の気持ちを知ることでした。
自分の気持ちを知る
私の課題は見捨てられ不安だと気がついてから、見捨てられ不安についてGoogle先生に聞いたり、本屋さんに行ったりして色々調べました。
(調べた情報はこちらの記事にまとめてみました。)
ただ、しっくりくる説明ってそこまでたくさんありませんでした。
人の心は十人十色、ということもありますが、見捨てられ不安がどんな形で表面化するかはパターンがいくつかあるからです。
そのパターンの複合型というのもあって、私はどうやら複合型でした。
自分のことは自分に聞くのが早いので、自分に問いかけて話を聴きました。
自分から相手に連絡できないとき、相手が好きでいてくれる自分でいようと無理してしまう時、どんな気持ちなのか、本当は何が欲しいのか、少しづつ自分の気持ちを理解していきました。
自分の気持ちを聴くのってけっこう難しいので、最初はよくわからなかったのですが、だんだん本音がわかってきました。
そして、聞こえてきた私の本当の気持ちは驚くほどシンプルでした。
相手を好きになるのが怖い
「好きにならなければ傷つかないでいられるから、好きにならないでいたい」と感じました。
相手のことを好きになってしまったら、相手が自分を好きでなくなった時に傷つくのではないかと怖かったんです。
相手が自分を思う気持ち以上に、相手を好きになるのは嫌でした。
そういえば小さい頃から人を好きになることに対して、ちょっとしたストッパーを感じていました。
そして、自分の話を聴いていたある日、心の奥から湧いてきた言葉は「愛されたい」でした。
誰もが思っていそうな言葉だったけど、実は自分の中から出てくるのはちょっと意外でした。
「愛されたい」って思ったことがなかったんです。
思わないようにしていた、という方が正確かもしれません。
でも、気がついてみたら、あまりにもシンプルで「なんだ、そういうことか」って感じでした。
拍子抜けでした。
同時に「やっと言えた」とも思いました。
ずっと欲しかったものに素直になれた時、涙が出ました。
深いところにあったこの気持ちは、長いこと、私の中でタブーになっていました。
触れてはいけないこととして、なるべく見ないようにしていたのです。
私の中のタブーを受け入れる
あまり触れないように、見ないようにしていた「愛されたい」を認識してからはちょっと気持ちが楽になりました。
まるで、隠しごとを打ち明けて楽になったような気持ちでした。
我慢して強がっていたけど「本当は怖かった」と言えた時のような安堵感でした。
好きになるのが怖いとか、愛されたいとか、本当に感じていることを認めること自体が怖かったのは、素直に願ってしまった時に叶わなくて傷つくのが嫌だったからです。
だから誰にも話したくなかったし、その願いを持っていることすら悟られたくないと感じていました。
そうやって隠すことは、私のネガティブな自分像を作っていました。
タブーが作るネガティブな自分像
私が本当の気持ちを隠し続けて、タブーを持つことを支えたのは「自分は愛されない」という前提でした。
その前提があるから、素直に愛されたいと願うことが怖いと感じていました。
愛されないことがわかっているのに、願ったところで叶わないに決まっているし、叶わないことを願ったら傷つくことは目に見えているからです。
そうやって、その願いを隠し続けたことが「自分は愛されない」という前提を強化してしまいました。
本当は自分は愛されないというのは思い込みだったとしても、隠すことで思い込みだと気づくチャンスを失いました。
心の奥で「自分は愛されない」という自分像を持ち続けることになってしまったんです。
隠し続けた願いを認めること自体が「自分は愛されない」を変えていくファーストステップになりました。
素直さが力になる
隠していたかったタブーを告白する勇気が私を変えました。
見捨てられ不安に限らず、自分と向き合うには勇気が必要なことがあります。
しんどい、手放したいと思いながらも、それを見たくない気持ちもあるのが人の性というものだからです。
私は「相手の好意がなくなるのが怖い」「相手に好意を持つこと自体が怖い」という気持ちに薄々気がついていたのに、それを認めるまでにけっこうな時間がかかりました。
なんとなくそういう気持ちがあるのはわかっていても「怖い」ってはっきり言えなかったし、何が怖いのか曖昧なままにしていました。
その奥にある「愛されたい」を見つけるのには、さらに時間が必要でした。
誰もがこうやってコラムを書く必要もないし、もちろん、誰かに話す必要もありません。
ただ、見捨てられ不安の奥にある願いを知って、認めてあげることができれば、それは現実を変えていく大きな力になると思います。
ずっと言えなかった「愛されたい」をちゃんと認めることからはじまった、私の見捨てられ不安克服の旅。
続きはまた今度、書こうと思います。
「愛されたい」をちゃんと認めようと思ったら、もうちょっとディープな気持ちが色々出てきてしまったのです。
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